中日における相違について 勾艶軍

 中国と日本は、一衣帯水の隣国であり、古くから文化、宗教、貿易などの交流が盛んに行われてきた。みんな同じ漢字を使って、同じ漢詩、三国志を楽しみ、そして、同じ餃子
を食べている。両国の間に見られる共通性が実に数え切れないほど多い。
 しかし、そんなにゆかりの深い両国の間にも、いくらかの相違が見られる。

 一、
 最近、日本人の友達から中華料理店に誘われた。デザートとして杏仁豆腐を注文してくれたが、私はそこではじめて杏仁豆腐を食べた。日本では、杏仁豆腐が中華料理のもっとも代表的なデザートと思われているそうだが、実はもともと香港料理であるらしく、北の方の人はあまり食べていない。
 ほかには、ウーロン茶、紹興酒、天津飯などもそうだ。ウーロン茶は南の福建省の名品で、北の方の人は、ウーロン茶よりジャスミン茶と緑茶のほうが好きだ。紹興酒も南の浙江省辺りでしか飲まれていない。
 このように、日本に伝わってきて、正真正銘の中華料理と認められるものは、実は中華料理のほんの一部に過ぎなくて、食べたり、飲んだりしたことのない中国人が多い。
 恐らく中国は広いから、一概に中国の何々とは言えないだろう。
 たぶん昔多くの物が日本に伝えられてきたが、日本人の口に合ったようなものが残され、そして、日本人の口に合わないものは次第に消えてしまった。つまり、昔の中国のものはそのまま受け入れられたのではなく、味での取捨選択を経て初めて日本に定着した。
 
 二
 日本に着いた時に、印象深かったのは、建物は壁が薄くて、素材全体が軽く見えたことだ。日本では地震がよく起こるから、地震の被害を最小限にするためには、建物はできるだけ軽い素材を使っているのかなと思った。
 確かに昔は夏の暑さを凌ぐために、薄い素材で家屋を造ったらしいが、今頃はむしろ地震への配慮のほうが大きいだろう。
それに対して、中国は「厚重」という感じを重んじて、建物はほとんど石や煉瓦やコンクリートによって作り上げられた広くて、重々しいものである。
 中国では地震の心配がそれほど大きくない。それに、冬になると、寒くて風も強い。木材よりは石や粘土が豊富であるためか、建物は次第に今の構造になってきた。
 以上のような比較を通して、建物の様式が周りの環境にかなり影響されていることが分かった。
 こうした例は実に多い。
 例えば、関西空港に着いたとき、そこがもともと海だったことが分かった。
 福岡、神戸などの町にも、こうした海を埋め立てて作りあげた陸地がある。そして、海底を貫く新幹線のトンネルもすごい発想であった。
 中国には「填海造田」という諺があり、海を埋め立てて、田圃に作り上げるということが昔からの夢だったが、この夢はすでに日本で実現されたような気がした。自然を変えられる人間の力には驚いた。
 これも狭い島国に生きていくために練り上げた発想であり、周りの環境に適応するための工夫であろう。

 三
 日本語には、外来語が多いことがすでに分かったが、実際に日本にきて、カタカナ語が自分の想像以上に大量に、頻繁に使われていることにびっくりした。
 新しい外来語もどんどん増えていて、一般の辞書を調べてもまだ載っていない例も少なくない。このように、日本は大量に、迅速的に外国の物事や概念を取り入れている。実はこれが文字に止まらず、日本文化全体の特徴である。
 さて、中国では、これらの外来の概念をどう受け入れているか。
 中国は一貫して漢字の純潔性を主張している。新聞に漢字以外ほとんど使わない。外来語の場合は、できるだけ中国語に訳したほうがいいと思われる。
 例えば、英語の「supermarket」は、日本ではその発音をまねて「スーパーマーケット」にしたが、中国では、その意味を訳して「超級市場」という言葉に定着させた。
 ただ、改革開放を実施して以来、国際交流が盛んになる連れて、外来の概念がどんどん増えてきた。そこで、それを適当な漢字に翻訳するのは当面の急務となった。
 そして、対応する訳語が出てこない時、混乱や戸惑いに陥ることもしばしばある。
 例えば、internetが中国に入った時、最初は当て字で「因特奈特」と表記したが、どうしてもその意味がはっきり読みとれないためか、「net」を「網」に訳して「因特網」にしたが、いくらかの推敲を経て、最後にやっと「互連網」という言葉に落ち着いた。
 「E−mail」という言葉もそうです。最初は「伊妹児」と発音通りに当てたが、最後にやはり「電子郵件」に決まった。
 以上のように、中国語は余り変化を好まない。しかし、近年以来、外来語に対する態度もだんだん緩やかになってきた。
 例えば、[GDP][WTO][SARS]などの言葉が、アルファベットそのままで新聞に載せられるようになった。
 恐らく時代の流れが急スピードで、外来語に対する考え方も変化に対応しなければならないだろう。と同時に、中国が外来の文化に対する態度も緩やかになって、開放的になったこともうかがわれる。

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